2018年2月14日水曜日

うっかり!

年末年始あたりから「来年夏には6段審査だよね」と先生に言われてついその気になってましたけど、調べなおしたら5段合格が2015年夏だから6段受験は再来年じゃーん!!

ということでまだしばらくなんちゃって5段の気楽な日々を送りたいと思います。
やれやれ。

2018年2月13日火曜日

杖道上達講座 その8:礼法について

ブログ自体も、このタグも、だいぶ久しくご無沙汰しましたけども、書こうか書くまいか悩んだ末にだいぶ危険なネタについて書いてみようと思います。

ということで、今回は「礼法」について。

例によって、あくまでここに書くことは現時点で私がぼんやりと考えていることであって、全剣連や神道夢想流の教義はこうだと語るものではないです。
後輩諸氏に「礼法で大事なことって何ですか?」と聞かれたら私はこうじゃないかと思うよ、と答えるようなそんな程度の内容です。


さて、礼法について大事なことはと問われたら、私が大事だと思っているのは2点。
1.相手をよく見ること
2.相手に合わせて動くこと
この2つです。


礼法というと、多くの場合「お辞儀の角度が…」「杖の持ち方が…」とかそういう部分にフォーカスしがちなように思います。
それらが間違いというわけじゃないけれど、それらはあくまで「所作」「決めごと」であって、礼法の中核をなす部分とはいいがたいのではないか、と最近思うようになりました。

要するに、どんなに完璧なお辞儀ができたとしても、相手のことを鑑みずに勝手にパッパパッパ動いていては礼にならないよ、ということですね。
同時に、どれほど相手と呼吸が合っていてもいい加減なお辞儀・所作では礼法として不足である、ということも言えるでしょうね。


で、これって型を遣うときの心得と全く変わらないと思うんですよね。
相手をよく見る、相手の起こりを捉える、相手の動きに合わせて打ち込んでいく。
違うのは相手と和するのか撃ち合うのか、頭を下げるのか得物を打ち込むのかということだけ。

口では礼が大事だとかうるさく言ってても、いざ型に入ると相手のことなどお構いなしに勝手にさっさと動いてしまう人、いるでしょ?
そういう人は形だけはちゃんとできているようで、結局独りよがりの礼だし自分勝手な型遣いですよね。
それでは型として成り立たないし、術として遣えているとはいいがたいと思うわけです。
ましてそういう人とまた次も一緒に稽古したいとも思えませんしね。

礼にせよ術にせよ、極めれば相手の心身の働きを感受し、時に合わせ時に乱し、和するも倒すも自由自在、ということになるのかもしれません。
このへんはあくまで私の拡大解釈です。



さて、次はもう少し別の視点から礼法を捉えてみたいと思います。
「決められたことを決められたとおりにすることが、礼法足りうるか?」という疑問。

「全剣連ではこう決まっているんだからその通りにしなさい」というのはよく言われることです。
決まりを守る、ということは美徳であり礼法に適う、というのは一見正しいように見えます。
しかし、「決まりだから」という理由で従うとしたら、それはただの盲従に過ぎず礼法足りえないのではないか。

例えば、「赤信号を渡ってはいけない」というルールがあります。
なぜ赤信号を渡ってはいけないの?と子供に聞かれて「ルールだから」で納得してくれるでしょうか。
「交通をスムーズに保って事故を無くすためだ」と理解していて初めて意味が生まれるわけです。
そう考えた時、「そう決まっているからその通りにせよ」という言い回しはとても空虚に思えます。

とはいえ、駆け出しの初心者のころからいちいち「なんで?」「どうして?」と立ち止まっていては全く先に進まないというのもまた事実。
だからごく最初のころは「こう決まっている」という教え方/覚え方でいいと思います。
そこから稽古が進むにつれて「こういう理由ではないか」という考えを持つようになれたら、形のなかの身が伴ってきて礼が礼として働き始めるのかなと思うのです。
この辺りも基本打ちや型の覚え始めのころと一緒ですね。


…なんでこのネタにあまり触れたくなかったか、っていうとこの辺りなんですよね。
前にもちょっと書きましたけども、「立礼はカカトをつける」に対して、「剣道に合わせます」はいいとして、じゃあなんで剣道ではカカトつけるんですか?っていう答えが返ってこない/導けないから。


さて、空しい問いは横へ置くことにして本日のまとめ。
1.相手をよく見る
2.相手に合わせる
3.作法の意味を考える

最期に、私の愛読書?である論語から意味深な一節を抜き出して終わりたいと思います。

子大廟に入りて事毎に問う。
或るひと曰く、敦か鄒人の子を礼を知れりと言うか。大廟に入りて事毎に問う、と。
子之を聞きて曰く、是れ礼なり、と。

<孔子が(祭祀の手伝いのため)廟に入ってこと細かく作法を尋ねた。
それを見て「孔子は礼法に通暁した人だなんて誰が言ったんだ。何もかも聞かなきゃわからないんじゃないか」と言うものがいた。
孔子はそれを聞いて「こうすることが礼なのだ」とおっしゃった。>

本当は礼法を細かく知ってはいてもそれをひけらかしたり押し付けたりしないようにする、ローカルルールを尊重する、それも礼法だ、ととらえるか。
はたまた本当にわかってなかったのをうまいこと言い抜けたのか。
真実は子のみぞ知る…。

2018年2月7日水曜日

ぴーぴー

えー、しばらく更新をお休みしておりましたけれども、その間なにをしていたかといえば、ちょっと暖かいところに行っておりまして。
まあそれは前もって書いた通りです。



1週間もたてば寒気も引いているだろうと思ったのに、全然そんなこともなく冬将軍が全力稼働中でしたね。

そのせいなのかどうなのか、帰ってきて早速お腹に来る感じの風邪を食らってお休み中です。
いったい何のために暖かいところへ避難していたのか…。


いきなり寒気がして高い熱が出たからすわインフルかと思いましたけど、医者に掛かって検査しても陰性でしたし、出すものを出したら一気に熱も下がったし、咳も鼻水も特にないのでむしろ食あたり的な何かなのかもしれない。
いずれにせよ、人様に移すとまずいのでもう2,3日はおとなしくしておこうと思います。
まだお腹が緩い感じだしね。

やたらに風邪をひきやすくなったのは一体なぜなんだろう、と首をひねるばかりです。

2018年1月23日火曜日

たびだち!

あんまりにも寒くて、稽古どころか日々の生活にもうんざりする有様なので、ちょっと1週間ほど暖かいところに行ってこようと思います。

稽古しなきゃ、って言ったそばからこのザマですが、風邪ひいて寝込んで1週間潰すよりは建設的かなと。

そんなわけでしばしお暇を頂戴します。

2018年1月16日火曜日

りべんじ!

東京における先日の6段・7段昇段審査の結果が発表されました。



見知った名前もいくつかありうれしく思う一方で、残念ながら岡山からは合格者が出ず、次回以降に期待したいところです。

個人的な所感では、6段の部はこの顔ぶれが通っているなら岡山からも通っていて不思議ではないような気はします。
彼も所帯を持って生活が落ち着いたところですからして、杖のほうにもその落ち着きと言いますか年齢なりの円熟味を載せていただいたらいいんじゃないでしょうか(上から目線)。
まあ次回は大丈夫でしょう、たぶん。きっと。おそらく。

7段の部については、受験者42名に対して合格2名。
ずいぶんシワいな、という気もしなくもないんですけれど、前回の人吉での審査を顧みるに、今回もまた同じような顔ぶれだとしたら、受験者の皆さんには申し訳ないけれども妥当な結果というように思います。


…などと偉そうなことを言ってる場合ではない。
私も来年夏には受験資格が生まれるわけで、人の心配してる暇にもっと稽古せねばならんのです。
稽古せねば…。

2018年1月10日水曜日

がんたん!

大変遅くなりましたが、皆さんあけましておめでとうございます。
今年も元気に無理せずコツコツと稽古に励みましょう。

一年の計は元旦にあり、などと言いますが、皆さんは今年は何を目標にしますか?

私は
・間合いをより的確に
・昨年サボりがちで衰えた太刀の素振りをもう一度みっちりと
という2点を心がけていきたいと思います。


さて、元日から今まで鏡開きとか試し斬りとかあったんですけども写真がありませんね。
というのも試し斬りの会場にカメラを忘れて帰ってしまいましてねえ。

たぶん来週頭くらいに東京経由で先生方のお手を煩わせながら帰ってくると思うので、それまで気長に待ちましょう。

正月早々これですよ、うっかりさんだなあ。

2017年12月30日土曜日

としこし

気が付けば今年もあと2日。

1年を振り返ってみても、
・旅に出まーす
・旅の写真見せまーす
・だるいから休みまーす
ばっかりだったような気がします。

だんだんに無職らしい無職ゆえの怠慢が前面に押し出されてきた気がします。


しかし稽古の内容で考えると、基本打ちをひたすらに繰り返すという稽古の一番大事なところに注力できていたような気もします。

来年はどうしようかな。
ま、来年のことは来年が来てから考えればいいですね。

皆さんもよいお年を。